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日本飛行場紀行
新千歳空港を写真と記事で紹介しています。

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北海道の空の要衝

新千歳空港




写真と文=齋藤美津明

基稿 = エアワールド2006年1月号
「シリーズ◆日本の飛行場 その2」

高さ600ピクセルで保存可。但し、個人的使用に限ります。
前照灯を点灯させ、小雨で煙る新千歳空港の誘導路を進むJALのDC-10-40(JA8542)。
アメリカに売却された同型機と同じように、このJA8542号機も2005年12月をもって日本の空から姿を消した。
(2005年8月12日撮影)



 新千歳空港は、1988年に千歳飛行場(現在の航空自衛隊千歳基地)から空港機能が分離され、運輸省(現、国土交通省)が管理する第2種A級空港として供用が始まった3,000mの滑走路を2本(1本は1996年に整備)有する北海道の空の玄関となる飛行場である。供用開始と共に空港機能を受け持つ「新千歳空港」と引き続き自衛隊基地機能を受け継ぐ「千歳基地」に別れたが、航空管制上は両飛行場は一つの施設とみなされ、両飛行場自体も誘導路で繋がっている。

 千歳基地は航空自衛隊の北の要衝。有事の際は千歳基地と新千歳空港が一体となり、誘導路も含め計6本が滑走路と化し、十数機のF-15戦闘機が一斉に離陸可能な体制をとっている。日本には空港と基地を共用している飛行場が14か所あるが、平時において空港と基地のそれぞれの運用が明確に分離されているのは、この新千歳空港/千歳基地と長崎県の長崎空港/大村基地だけである。
 国内線旅客数においては、全国の空港では羽田空港が年間約6,200万人という圧倒的な数で首位であるが、新千歳空港は第2位の福岡空港と僅かの差で第3位に位置する。年間約1,700万人の利用客数は、現在では大阪(伊丹)空港とほぼ同じ実績を誇る。中でも羽田〜新千歳路線は世界で第1位の利用客数で知られている。この路線は、運行機材もB747やB777などのハイ・キャパシティ機が中心で、路線便数合計は実に1日44往復。更に今年度末にはスカイマークエアラインズ(SKY)が当路線に新規参入を予定している正に世界一の路線だ。

 また新千歳空港は日本初(1994年)の24時間空港としても知られている。旅客便は午前8時前から運航が始まり、午後10時半頃までで全便がフライトを終えるが、その後の深夜帯は貨物機の発着や北アメリカ〜アジア路線などのダイバード空港として使われている。2003年11月からは、全日本空輸(ANA)がデイリーで羽田間に貨物機の運航を始めたが、このテストケースが成功し、現在では羽田〜佐賀間にも深夜貨物便が就航している。今後も空港の24時間化や運用時間拡大は全国に拡がっていくだろう。
 新千歳空港の前身である千歳飛行場は、1951年に正式に供用が開始されたが、遡ること1926(大正15)年、当時の千歳村民の奉仕活動によって飛行場として約10haが整備され、小樽新聞社(現在の北海道新聞社に統合)の「北海1号」が酒井憲次郎操縦士によって着陸したことによりその歴史が始まる。そこから数えれば、80年を迎えた新千歳空港。様々な変遷を経て、今では約720haにも及ぶ巨大施設に成長しようとは、当時の村民からすれば夢にも思わなかったことであろう。


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日本飛行場紀行・千歳飛行場

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