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日本飛行場紀行
仙台空港を写真と記事で紹介しています。
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東北の空の復興拠点 仙台空港

 東北の玄関口とも言える仙台空港。仙台市は東北で唯一の政令指定都市。実際にはその仙台市の隣の名取市と岩沼市に跨って所在している仙台空港だが、その宮城県の県庁所在地である仙台市政に合わせるかのように、東北を代表する空港として国管理空港に位置づけられている空港だ(*注1)。
 仙台空港は、戦時下の1940年に熊谷陸軍飛行学校の飛行隊訓練基地として整備されたことによりその歴史が始まる。1945年、終戦と共に米軍に接収されるが、1956年に返還され、防衛庁(現、防衛省)と運輸省(現、国土交通省)の共同使用飛行場となる。翌年の1957年には現在の全日本空輸(ANA)の全身である日本ヘリコプター輸送(日ペリ航空)が羽田空港との間に東京線を開設し、民間空港としてスタートを切った。1964年には空港整備法の定めにより、それまで仙台飛行場とも名取飛行場とも呼ばれていたものから「仙台空港」へと正式に命名され、運輸省の所管する第2種A級空港に指定された。更に2008年に「空港整備法」が「空港法」に改正されたことにより、「国管理空港」というカテゴリーに分類されるに至っている(*注1)。
 当初は1,200mの滑走路一本だけで運用されていたが、1971年には仙台湾からストレートにアプローチできる形で1,150mのB滑走路が整備され、翌年には2,000mに拡張、更にその翌年の1973年にはジェット化になり東京線にB727が就航と、とんとん拍子で現在の仙台空港の原形が形成されていった。このB滑走路はその後も、1992年には2,500m、1998年には3,000mと、近年の国内線/国際線の両需要に対応すべく拡張が繰り返され、東北随一の空港へと成長していくことになる。1996年からその翌年にかけては、B滑走路からはT字型にランプ・インするように配置されていた旧ターミナル・ビルから、B滑走路に沿って無難な形でランプ・インできる新ターミナル・ビルへと旅客便機能も完全に移行し、現在はその近代的なデザインのターミナルに、2007年3月に営業を開始した仙台空港鉄道(SAT)の仙台空港駅が接続している。
 仙台は政令指定都市であると同時に、日本一の「支店経済都市」と言われている。本店を他の都道府県に置き、その支店を抱えている割合が最も大きい都市であること。その分、人的な流動も大きく、人事異動などの時期にはその流動性が最も活発になる。1982年に大宮=盛岡間で営業を開始した東北新幹線が、1985年に上野まで延伸されたため、同年にはこの仙台空港の東京線は運休となるが、支店経済都市として成長していく仙台には全国から人の行き来が絶えることなく、目玉路線の東京線を失っても、仙台空港の成長もまた留まることはなかった。加えて、1990年には初の国際定期路線となるソウル便が就航し、国際線空港としてのスタートを切った。その後、順当に拡大していく国際路線と、国内線の需要が相まって、仙台空港は支店経済都市という隠れた日本一の経済拠点としても機能している。
 2011年3月11日14時46分、この仙台空港から真東に約140kmの三陸沖を初震源とする「マグニチュード9.0東北地方太平洋沖地震」が発生。これにより東北地方から関東地方にかけての太平洋東側沿岸ほぼ全域に大津波による未曾有の甚大被害をもたらした「東日本大震災」は、国内観測史上、例のない巨大災害となった。沿岸部に位置する仙台空港も、この大津波の直撃を受け、ターミナル・ビルや管制塔局舎の建物自体は無事だったものの、飛行場機能が壊滅的な状態となった。飛行場内に駐機/操機/走行中の旅客機が1機もない時間帯だったのが、ただただ不幸中の幸いだった。このまま仙台空港は暫く復旧しないのではという報道もなされたが、在日米軍の「トモダチ作戦」に扇動される形で自衛隊と共に懸命の復旧活動が行われ、まずB滑走路の応急整備が完了し、震災発生から10日ほどで物資輸送などの軍用機の離着陸が可能となった。その後もターミナルや誘導路などの飛行場機能の復旧が急がれ、4月13日からは旅客機の暫定運用が再開された。初めの1週間は、東京羽田線と大阪伊丹線が臨時便路線として計6往復がスケジュールされ、東京線は東北新幹線の仙台=東京間が復旧するまでの4月28日まで運航された。この後も、この暫定運用枠で、ターミナル・ビル機能の回復状況に併せて、臨時便の路線や便数も可能な限り利便性のある形で運用された。
 また5月21日には、韓国の李明博大統領が政府専用機である韓国空軍のB747-400(001)、次いで中国の温家宝首相が中国国際航空のB747-400P(B-2447)でと、相次いでこの仙台空港に降り立ち、それぞれ名取市、多賀城市の避難所を訪問した後、福島第一原発の放射能漏れ事故で避難している福島市内の避難所を訪問。この未曾有の日本の国難に哀悼と激励の意を示した。なお、この時点の仙台空港のエプロンには、大型機が2機駐機できるまでの余裕がなく、中国特別機へ駐機スペースを空ける形で、韓国政府専用機は到着間もなく羽田空港に向けて飛び立った。
 震災発生から4ヵ月半経った7月25日、急ピッチで進められた復旧活動により、当初の目途としていた9月を大きく前倒しする形で、仙台空港の国内定期便の正常運航が再開された。その後も、空港ターミナル機能の完全正常化が急がれ、9月25日にはターミナルビル機能が完全回復し、10月1日からは空港アクセス鉄道が全線復旧して正常ダイヤ運転を再開した。国際路線は、ターミナルビル機能が完全回復した9月25日に、それまで臨時便として運航していたアシアナ航空が皮切りとなって定期便運航を再開した。今年3月下旬には中国国際航空の2路線が再開される見込みで、唯一まだ再開時期を明確にしていない中国南方航空便が再開されれば、国際定期路線も震災前のダイヤに回復することになる。
 この大震災によるわが国の被害は記して及ばず。一早く、被災から復旧した東北の空の玄関・仙台空港が、復興拠点として期待されるのも云うも及ばずだ。暫くは、一日も早い日本の活力の復興に向けて、フル活用が求められる仙台空港だ。

*注1:2016年7月1日に民営化。仙台国際空港株式会社が事業運営開始。
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(2012年1月14日、記 / 2009年11月20〜30日、撮影)
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