秋田魁新報朝刊

飛行機のある風景に魅せられて 愛好家離着陸パチリ 10年以上毎月4回前後、秋田空港へ 六郷町の斎藤さん 初の個展開催を計画 秋田空港に毎月4回前後通い、10年以上も航空機の離着陸を中心に写真を撮り続けている航空ファンがいる。無線機を携帯し、上空のパイロットと地上との交信を聞きながらカメラを構えるほどの熱中ぶり。季節や天候、時間帯によって微妙に変化する航空機の姿と、その魅力を多くの人に知ってもらおうと、5,000コマ以上の作品から選んで初めての写真展の開催も考えている。 この人は六郷町野中字下村14、農業・斎藤美津明さん(35)。撮影現場で一般の人から話しかけられることがあり、自己紹介のつもりで、航空写真家にあやかって「エアロ・フォトグラファー」という名刺を先月から用意している。 20歳すぎからカメラに夢中になった。航空機の撮影に懲りだしたのは11年ほど前から。これまでにネガフィルムで約3,000コマを保存し、5年前からは保存がよくて見やすいリバーシブルフィルムに切り替えて2,000コマ以上撮影している。 斎藤さんは航空機の機体そのものを美しく写すだけでなく、季節や天候、時間帯によって移り変わる空模様と、その中に溶け込んだ航空機の姿に焦点を当てている。「自分でイメージした写真を撮ろうと待ち構えていても、航空機が接近してくる瞬間に雲が出てきたり、なかなか思い通りにいかない。逆にまた、その自然現象が航空機の絶妙な美しさを演出することがある」ともの静かに話す。「飛行機のある風景」というのがモチーフだ。 20ミリの広角から1,000ミリの望遠まで、6本のレンズを持ち歩く。それに加えて欠かせないのが携帯用の無線機。航空機があと何分後に着陸するのか、滑走路のどちらの方向から進入するのか、無線機を聞くことで、シャッターチャンスをうかがっている。空港付近の上空でパイロットと管制塔、航空会社の地上職員が英語や専門用語を使って交信するため、管制用語集や航空機事典を買い求めて独学し、ようやく理解できるようになったという。 秋田空港の敷地周辺をひと回りし、撮影ポイントを定めている。春夏秋冬や航空ダイヤなどによって、陽光の角度や強さが異なるだけに、撮影に役立つように一目で分かる独自のダイヤ表を作成。自宅のパソコンで就航する航空機の機種や機体番号、駐機場などを入力し、把握する。 気に入った写真は焼き付け、一枚ずつ裏側に撮影記録を書いて保管している。斎藤さんは「最近、他の人にも航空機の写真を見てもらいたいと思うようになった。写真展のようなものを開いてみようかと考えています」と話している。
この頃は「写真愛好家」で満足していた。
まさかこんなにデカく新聞に載るとは思ってもみなかった。

正確には、羽田空港ベースから通算で11年になる。
「個展をやりたい」というのも、ほとんど口から出任せ。
が、結果的にこれがきっかけで秋田空港「空の日」写真展につながった。
現在は農業から手を引き、アウトドアにインドアに写真ライフを満喫している。

注)2004年11月、「六郷町」は隣の2町村と合併して「美郷町」になった。



月刊あんどなう 1999年5月号
秋田県南情報誌
飛行機のある風景に魅せられ早10年。斎藤さんは「時の人」 探せば出てくる県南の名人・・・とでもいおうか、六郷町のある人がちょっと注目を集めている。 その人とは斎藤美津明さん(35)。航空写真家にあやかって「エアロ・フォトグラファー」という名刺を持ち、月に3〜4回は秋田空港へ撮影に出掛けるという生活を10年以上も続けている。 本職は農業だが、単なる飛行機の撮影とは違って極めて芸術性の高い「作品」を撮り続け、航空機撮影は既にライフワークのひとつになっている。 携帯用の無線機を駆使し、到着時間や進入方向などを管制塔とパイロットの交信からキャッチ。これで最高のシャッターチャンスを狙うそうだが、この交信内容も独学で理解できるようになったというから驚く。 そんなひたむきな姿が縁を結んだのか、秋田空港で秋田さきがけ新聞の記者と偶然はちあわせになり、4月6日の朝刊で紹介されることに。「こんなにいろんな方々から反響を頂いて、正直ビックリしています」と、突然ふって沸いた騒ぎに驚きを隠せないようだ。 これまで撮影してきたコマ数はざっと5,000点以上。その中でもお気に入りの写真を整理してきたのだが、最近ふと他の人に見てもらいたいと思うようになったとかで、機会があったら個展も考えてみたいらしい。 もともと飛行機が好きで、カメラも愛する彼が行き着いたのが、飛行機を撮影すること。こんな趣味のあり方って素敵だと思いませんか?
リバーサルフィルムを使うようなった頃から、「写真はライフワーク」がモットーだった。
だが、「写真愛好家」だと聞こえはいいが、「趣味」で片付けられるのにはかなりの抵抗があった。
この翌年には「ライフワーク」のまま「写真家」としてスタートを切ることになる。
写真家といっても、スタイルはこれまでとほとんど変わらない。
今では趣味とか仕事とか、拘ること自体馬鹿らしくなった。
しかし「初志貫徹」、初心に確立したアイデンティティーは今でもブレることなく貫いている。



広報ゆうわ 1999年11月号
秋田県雄和町広報誌   【2005年1月、雄和町は秋田市と合併】
雄和で航空機を撮り続けて 六郷町・斎藤さん撮影の航空機写真 昨年2月、安養寺から撮影 この写真は、六郷町の航空機の写真家・斎藤美津明さんが撮影したものです。 斎藤さんは飛行機の写真を追い求め、空港や周辺などで撮影しています。今年9月に開催された「秋田空港空の日」のイベントでは、写真展も行われました。 昼夜を問わず空港に来るという斎藤さんは「飛行機を撮り初めて11年になります。これからもまたいろいろな条件に合わせて写真を撮りたいですね」と話していました。
1回目の写真展が行われた秋田空港「空の日」記念イベントが終わって間もなく、雄和町役場を訪ねた。
現在では雄和町も秋田市と合併し、秋田空港も秋田市のシンボルの一つとなった。
秋田空港で学んだ撮影ノウハウは、現在は「J project」として、様々なシチュエーションに応用されている。
これからは被写体として、また利用者として、
秋田空港も多数の空港のひとつとして接していくことになるだろう。



AAB 秋田朝日放送 「チャンネル ei ei」 ニュース番組 1999年11月放映
特集コーナー『飛行機のある風景』
 これも4月の新聞記事の反響か、テレビでも取り上げられることになった。
 秋田空港での収録当日は、晴れの天気予報に反して、曇り時々雨の生憎の天気だったが、最初で最後の「テレビ収録現場」を体験した。いい経験になった。
 自宅での収録では、初めに打ち合わせがあって台本通りに進むんだろうとすっかり思い込んでいた。ところが、千田まゆこアナと撮り溜めた写真の話しをしているうちにさっさとテレビカメラがセットされ、いきなり質問攻め。打ち合わせの「う」の字もなかった。これにはまいった!自分でも何を話しているのかさっぱりわからないまま収録終了。自分の発言に責任を持てない状態で放送当日を迎えたが、そこはやはりテレビ。うまく編集され、どうにかつじつまが合うような話しになっていた。
 1999年は新聞に始まり、空港写真展に沸き、テレビに終わった。忘れられない体験をさせてもらったことにつくづく感謝しているが、「あの頃は良かった」、もう全ては過去の栄光だ。今は齢と共に、目立つことよりも救われる生き方をひしひしと感じている。



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